福岡高等裁判所 昭和58年(ネ)42号・昭56年(ネ)582号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【説明】
Y会社は、バス乗務員による運賃着服を防止する方策の一環として左記確認書を作成し、全乗務員に対しこれに押印するよう指示したところ、Xのみがこれを拒否したので、Xを諭旨解雇(懲戒処分)にした。
確認書
本日所長より個人面接で左記事項について指導を受け理解しましたので、今後私金(有価証券を含む、以下同じ)の取扱いについては十分に注意を致します。
1勤務中私金を携帯もしくは所持しないこと――身につけないことは勿論会社の管理施設権の及ぶ範囲内ならびにこれに準ずる場所の本人の占有する担当箱自家用車等に所持してはならない。
2私金を持つて出勤した場合はただちに所定の手続きによつて預けること
3出勤時には携帯品及び所持品(担当箱自家用車内等)に私金がないか再度確認すること
4万一勤務中に私金を携帯もしくは所持していた場合これが私金であることの証明は極めて厳格に解されることになり家族等の単なる証言は私金の証明とはならないこと
第一審判決はXの右解雇無効の主張を容れたのでYが控訴したものである。
【判旨】
そこで、被控訴人の本件確認書への押印拒否が控訴人主張のとおり就業規則六〇条三号所定の「上長の職務上の指示に反抗し、もしくは会社の諸規定、通達などに故意に違反し、または越権専断の行為をしたとき」あるいは同条一五号、五九条三号所定の「正当な理由なく上長の職務上の指示、会社の諸規定、通達などに従わなかつたとき」で「その情状が重いとき」に該当するか否かについて判断するに、以下の理由から、これに該当しないと判断するのが相当である。
すなわち、バス事業を経営する会社が一般にバス内で乗車賃の取扱いをする乗務員について乗務中私金の携帯を禁止していることは周知のところであり、それが乗務員にとつてかなり大きな不自由をもたらすものであるに拘らず、その必要性・合理性が肯定される所以は、会社存立の基礎である乗車賃収入が乗務員の私金と混交することを防止し乗務員の手もとにある金員かその何れに属するかをめぐつてトラブルを生ずることを避ける手段として、双方にとつて最も徹底した簡便有効なものであり、他に有効適切な方法がないことによると考えられる。従つて会社が、乗務中の私金不携帯の制度を実効あらしめるため、乗務員が私金を所持して出勤した場合に私金を会社に預けることを要求することもまた許されるところというべきであろう。更にこれを徹底させて、本来は私人が自由に私物・私金を格納し得る筈の担当箱(会社備付ではあるが乗務員個人用のロッカーとして使用されていることが原審証人吉瀬英章の証言及び弁論の全趣旨により認められる。)や通勤用の自家用自動車に私金を保持しないよう求めることも、あながち不当とすることはできない。
そして前認定の就業規則六条の改正が乗務員に対し担当箱や自家用自動車内に私金を所持することが禁じられていることを明確化することを目的としてなされたものであることからすれば、控訴会社が同条の規定を根拠として、乗車賃を取扱うバス乗務員一般に対し、私金を持つて出勤した場合遅滞なく会社にこれを預け、勤務中担当箱や自家用自動車内に私金を保有してはならない、旨を命じ、徹底した私金の不携帯・不所持を採用することは、それ自体として許容されないものではないというべきである。
しかしながら、そのような制度を採つた場合、それだからといつて会社が乗務員の担当箱や自家用自動車について、当然に所持品検査を行うことができるということはできない。けだし、もともとそのような場所に私金を置いてはならないというのは、それ自体が会社の業務運行の障害となる行為だからではなく、単に乗務中の私金不携帯を徹底させるための補助手段として有益だからであるにすぎないから、乗務員の人権侵害となるべき所持品検査は、右のような場所については、不正領得摘発のためであろうと定期的一般的なものであろうと、また成文の規定を設けようが設けまいが、いずれにしても、限られた範囲の必要最少限においてのみ可能であると解するほかはない。そしてその範囲は、所持品検査を必要とする具体的な事情とその必要性の程度によつて、一義的には固定しがたいものであつて、結局、どのような場合に(例えば、具体的に不法領得した乗車賃をそこに隠匿したことを疑うに足りる合理的な理由のある場合であるかどうか)、どのような条件のもとに(例えば、本人の同意、本人の立会を要するものとするかどうか)、どのような方法で実施するか(例えば、本人に開扉させ内部を視認するにとどめるのか、会社の担当者が手を触れるのか、それにとどまらず置かれている品を一々点検するのか)等によつて、その可否が決せられるものといわざるを得ない。
とはいえ、本件確認書の第一ないし第三項は、所持品検査については何ら触れるところがなく、直接には前記のような制度を採ることのみにかかわるものであつて、それ以上のことは含まないから、その内容自体は会社が業務上の指示として乗務員に命令することの可能な事項であるといえる。
しかしながら、右のような制度を実施しまたは徹底させるには、本来会社は右のような場所についての所持品検査をどのような場合にどのような態様で行うかを含めて、自身の責任により、所要の手続を踏んでこれを規程に定め公示するとか、そうでなくとも告示文にして掲示し、または心得・指示といつた形式でこれを文書化し乗務員に所持させ、必要ある場合更に口頭その他の方法で説明するなどの手段によるべきであつて、そのような方法による指示にあえて違反した個人に対し制裁に代えてするなど特段の事由のある場合は格別、単に乗務員による乗車賃の不正領得事故が続発する事態が生じたというだけでは、思想表現の自由を有する乗務員に対して、全員一律にではあつても、当然にはそのような禁止事項を自身の発意に基く不作為義務の形で乗務員の責任において誓約すべきことを強制し、これをもつて本来会社が自らの責任において定むべき制度を代わつて画定させることはできないというべきである。
とりわけ本件においては、会社側が本件確認書に乗務員の押印を求めるにあたつて、随時担当箱や自家用自動車についても所持品検査を行うことがあり得る旨を明らかにしていたことは前認定のとおりであるのに、本件確認書の第一ないし第三項はこの点について全く触れるところがないから、乗務員の側にとつてはそのような確認書への押印は会社側のいう随時の強制的所持品検査(所持品検査の拒否は解雇原因である〔成立に争いのない乙第一号証の一就業規則六〇条一四号〕)を甘受することの承認を意味すると考えても無理からぬ事情があつたというべきであるばかりでなく、本件確認書第四項は、乗務員が第一ないし第三項に則り自らの責任において厳重な注意を払い勤務中私金を携帯・所持しない義務を負担したことを前提とし、その故に、乗務員が勤務中に乗車賃と区別された金員を携帯又は所持していたときは、よくよく厳密な確証のないかぎりこれを私金とは認めて貰えないこと(すなわち実質的には、乗車賃を不正に領得したか、私金の証明のできない金員を携帯・所持したものとして、諭旨解雇または懲戒解雇の理由ありとの取扱を受くべきこと〔乙第一号証の一就業規則の六〇条一一号、一三号〕)を、その内容とするものであるから、不注意のためにロッカーや自家用自動車内に現金を置き忘れたり落したり(悪意ある他人に現金を入れられたり)しているとき偶々所持品検査を受けこれが発見されたような場合、本件確認書に押印した事実は、懲戒解雇を免れる途を自身の行為によつて事実上閉ざしたことになる可能性をもつ関係にたつた、ということができる。
してみれば、かような内容をもつ本件確認書に押印を求められた乗務員として、会社の意のあるところを善解して任意これに応ずるか、その内容に危険を感じてこれを拒否するかは、その自由に委ねられるものといわざるを得ない。
のみならず、もともと前認定の事実関係からすると、控訴会社が本件確認書に乗務員の押印を求める目的は、私金の不携帯・不所持の制度の趣旨を乗務員に徹底させること、及び併せて会社が十分にその点の教育指導を行つたことの証跡を残すことにあつたと認められるところ、その目的は、被控訴人に関しては、押印をめぐつて何度も押問答を繰返しその記録(本件に書証として提出されている)を作成したことによつて、すでに達成されているともいうことができる。
従つて控訴会社が被控訴人に対し拒否の自由のない命令としてあくまで本件確認書への押印を求めることは、正当な職務上の指示等にあたるということができず、従つてその拒否は前記懲戒事由に該当しないものというべきである。
(蓑田速夫 金澤英一 吉村俊一)